MaaS技術が発達して移動の障壁が下がることによって、地域との「接続性」が上がる。
ただし、個人と地域との間での「共同体としてのつながり」を持つためには、別の要素が必要だと議論しました。
それが「個人が自己実現できる地域」「地域が持つ文脈に共感している個人」という考え方。その入り口として、ドローンを使うのがどうか、と議論が白熱しました。
■田口 慎一郎:シグマアイ取締役
●羽田 成宏:事業開発担当
○片山 直哉:大学生エンジニア
■田口: MaaSの意味って何だと思っています?
MaaSは広がるだろうという一応givenな前提条件を土台に話しているとすると、MaaSって何だろうというのが入り口だと思うんだけど。
○片山:そうですね。接続性みたいなのが、すごくキーワードになってくるかなと思っている。
結構栄えているまちと、衰退しているまちで、いろいろな見方はもちろんあるんですけど、外部との接続性が1点キーワードになっている。
どういうふうに接続させるかというのは、もちろん物理的にも、象徴的にも、社会的にも、いろいろな観点はあるんですけど、一番分かりやすくて、絶対に必要なのがMaaSになってきている。
いろいろな議論の文脈からMaaSが出てきているので、「これ」とは言いづらくて、ぼやっとしたコメントにはなってしまうんです。
■田口:モビリティだから、基本移動することじゃないですか。
○片山:そうです。そうです。
■田口:サービスとしてということだと思うんです。
それとその接続性というキーワードを引っ掛けた時に、単純に移動としての接続性というのは、まずフィジカルにはあるよね。
分かりやすく言うと、バスと電車とか、徒歩とバスとか、べつにタクシーでもいいんだけど、移動としての接続性があるじゃないですか。
いわゆる乗り換え的な。それ以外の接続性というのは、例えば、どういう接続なんでしょうね。
○片山:なるほど。今までに出てきたところで、自分が印象に残っているのは、移動手段で車を使う時に、今、未成年の人が車の運転するというのは不可能なんですけど、もし自動運転が可能になったら、その制限がなくなる。
羽田さんの子どもシティじゃないですけれども、子どもを対象にしたモビリティをつくることも可能なので、対象範囲が広がる。
行けなかった人が行けるようになる選択肢の広さという意味で、接続性は一定広がるかなというのは考えていました。
■田口:味合いとして捉えた時には、身体拡張とか、精神拡張の文脈のような気もしている。
それは、移動という行動よりも、個人の成長という文脈につながっている気もする。
物理的に起きていることと、そこで発生している意味という二面の捉え方があって、たぶんそれを考えてくれているんだろうなと、勝手な予想はしているです、まず。
●羽田:そのとおりですね。僕が言うのもあれなんで、片山さんの最初のテーマを言っていただいていいですか。ペケペケ都市ですね。
○片山:自己実現都市というようなテーマ設定にはしていて。
■田口:なるほどね。だから、そこには体験とか、発見とか、気づきが暗黙的にあるわけですよね、たぶん。
それが、移動が広がることによって引き起こされるという因果関係を、ちょっと念頭に置いているのかな、ざっくり言うと。
○片山:そうですね。はい。
■田口:なるほど。ちょっと問いで申し訳ないですが、一応地域性とか、公共性が高いところを念頭に置いていると、その公共性という文脈は、その中ではどういうふうに捉えられるのかね。
○片山:公共性ですか。
■田口:うん。最近自治体と住民という構図を考えることが多くて、その時に、身体性とか、精神性の拡張とか、自己実現は、あくまで自己においてじゃないですか。
○片山:はい。
■田口:ある人それぞれがということじゃないですか。
でも、地域とかと考え始めると、地域というのは一つの共同体とか、コミュニティーじゃないですか。その文脈と、さっき言ってくれた、それぞれの拡張という文脈と、公共的な地域性とか、共同体性みたいなことを考えた時に、そこに接続点はあるのかなと、僕の中では問いを立てたいとこなんです。
○片山:うん、うん。山奥、山里とかで、コミュニティーが閉じていて、外部からの受け入れをしていないイメージですか。
■田口:それは一つの顕在化の事象としてはあるんでしょうね。要するに、自分とそれ以外という概念の中になってしまっているわけです。
コミュニティーでもいいけれども、自分たちとそれ以外の人々という関係性になっているわけではないですか。
○片山:はい。
■田口:でも、公共性を考えた時は、少なくとも一定の大きな粒度においての共通認知みたいなものも欲しいと思うわけじゃないですか。
何でもいいけど、仙台市だったら仙台市としてのアイデンティティーが欲しいわけじゃないですか。
そう考えた時に、個人の拡張だけだと仙台市というアイデンティティーは育つのかという問いがある。
○片山:なるほど。
○田口:個人のアイデンティティーは身体拡張、精神拡張の中でいろいろ発展、アップデートは繰り返せると思うんだけれど、じゃあ個人の集大はそこの地域という総体になり得るのかは、ちょっと考えたい論点ではあるんですよ。
○片山:僕は自己実現に至った背景として、アブラハム・マズローの5段階説みたいなのがあって、その下から「生理的欲求」、「安全の欲求」、その次に「所属と愛の欲求」がある。
自分は今仙台市にいるんですけど、仙台に所属している感覚をそんなに今持っていなかった。
それよりも今その1個上の「承認欲求」が、例えば、SNSとかで個人単位になっていて、さらに外部とも接続している状況で、その1個下のレイヤーの所属を、日常的にどこらへんまで意識しているのかは、自分でもあまり考えられていないんです。
■田口:「所属の欲求」は、どちらかというと、依存関係性だと思うんです。どこどこの人だから俺は大丈夫という意味での所属認知なんです。
○片山:はい。
■田口:だけど、僕が問いたいのは、そこにインタラクティブに関係性を持てているかという意味においての所属なんです。
だから、何も働きかけていなくても、バッジがもられていればいいという話と、バッジがあるないはともかくとして、その所属に主体的に参加できている所属とは、ちょっと意味が違うじゃないですか。
○片山:はい。
■田口:その後者がどうなのか。その「承認欲求」の上にある自己実現の前提の中には、確か共同体認知という概念があるはずです。自己実現イコール他己的な行動を含んでいるはずなんですよね。その前提として、共同体認知という文脈があるはずなんだけど、それはどこでタッチできるんだろうという問いを立てたいところなんです。さっきのマズローの五段階欲求の文脈では、「承認欲求」までは、ギブンに対する欲求なんですよね。
○片山:そうです。そうです。
■田口:自己実現はギブすることに対する内発的な欲求の充足という文脈になってるはずで、与えられるものではないはずなんです。
○片山:はい。
■田口:そこに根源的な違いがあって、じゃあなぜ与えたいと思うのかとか。そこらへんの内発的な欲求の顕在化をさせるスキームに何があるのかが問いになると思っている。
●羽田:ギブンで与えられて、やりたい研究をやるというところで、両方できていると捉えるのか。そもそもそうではないのか。やはり、そこに対するエクスキューズを片山さんはすごい出しているわけじゃないですか。
■田口:うん。
●羽田:もっとこうありたいとか、今の文脈と自律感がありながら所属している。その中で研究をやっているけれども、一個のことに向かっている感が、大関研はあるよねと暗に話していて、すごくつかんでいると思うんです、田口さんが思っている部分。
だから、余計、たぶん田口さんも聞きたくなっていると思っていて。
■田口:だから、研究室の文脈で言うと、知識を与えられるとか、東北大学の何とかの研究室のメンバーであるという、ある種のステータスを与えられるとか。それがたぶん所属欲求とか、承認欲求のフェーズなんですよね。
でも、自己実現のフェーズに入った時は、この研究室をより盛り上げるために俺は何かの行動を起こそうとか、そういうところが起点になる。
それはこの研究室に対して、何かいい影響を与えて、それをアップデートすることが、みんなのためになって、しかも自分のためにもなるという認知があって初めて行動を起こしているはずなんです。
そこのきっかけは、なぜ生まれるのというところが一番ポイントになってくるところじゃないかなと思っている。
それを一方で、例えば、仙台市と住民での関係性とすると、行政サービスというのは今どちらかいうとギブンなものであって、仙台市民という与えられている状態で止まっているわけです。
でも、市民の自治体、行政参加という文脈で言うと、そのアクションが起きてこないというのは、今の文脈で言うと、自己実現欲求のフェーズにないからということなんですよね。
●羽田:両方ともそうですよね。つまり、仙台職員も仙台職員というのはgivenされて、かぶってやっているだけなんかな。
■田口:そうそう。
●羽田:自分の自己実現のための活動には到底行けないですよね。
■田口:そうそう。Slackで適当に書いた、自分ごと化の迷路に入ったというのが、まさにそれなんです、結局。
●羽田:そうですよね。
■田口:なぜ、自分ごと化できないのかという問いなんです。逆に言うと、自分ごと化ができる仕組みはないのか。
●羽田:よく分かります。
■田口:それが見いだせれば、いろいろな文脈において、自己実現都市。それはすなわち自己成長、自己達成を満たすと同時に、他己的なインパクトを与える両立がサイクルとして回る都市という体になる気がしているんです。
そういう話をずっともんもんと悩んでいた中で言ってくれたから、ああ面白い話だなと思って話に乗っかっている人なんです、今のとこ。さっきのMaaSの文脈で、ある種、個人の自己実現だけに特化してしまうと、たぶん分断を生む文脈になるはずなんです。それぞれができてるから、いいよねみたいな。
それは、ハッピーなのかという問いがある。でも、それはたぶん片山くんがもともと持っている本質とは、ちょっと違う文脈になっている気がする。
相手も自分も良くなりたいというのがベースラインにあるはずなんです。でも、一人だけがそれを思っていても成り立たないわけです。相互性が必要なはずなんです。そこにインタラクティブな要素が必ず発生する。
その文脈で考えた時に、一つ入り口として、関心とか、興味というところが入り口になると思う。
じゃあ、関心、興味というのは、どういうふうに持てていくのだろうかというのが、問いになるんです。
僕が考えてたのは、その入り口と、関心、興味の入り口と、ドローンショーがつながるとずっと考えていた。仙台市民から見た時に。
それは5Gでもいいと思っている、べつに。これまでできなかったテクノロジーを使うことによって、関心、興味の入り口としてデザインできるなら、それを使う価値はあるという仮説で考えていたんです。
○片山:そうですね。
○田口:だけど、具体的なジャーニー的なイメージがしっくりこなくて、うんつって頭の中がパンクし始めてるという感じなんですけど。
○片山:もどかしいですね。
○田口:でも、例えば、ドローンショーの文脈で言えば、何かしら見た目で人をアトラクトする機能は持っているはずで、それが入り口にならないかなとか思う。
●羽田:もう思いつきしか言わないんですけど、やっぱり人間って夜空を見る習性がある。
鳥が飛んでいるのを見ても楽しいじゃないですか。
ぶつからなくて、滑らかだなみたいなのもあって、それこそアルゴリズムの研究になる時に、ドローンの群体制御が、めちゃくちゃ速く、きびきび動いた時に、それは自然では起こり得ない現象ですよね。
それは見たいと純粋に思う。その見たいなというのは、確かに大事で、これだけ情報があふれているのに、人は見たいし、プロジェクションマッピングでも、何か進化して、新しいものが出てくるじゃないですか。
これは、それこそ循環する人間の本質であり、欲求であり、共同体験というところを実は求めているのかなとか、日本だと花火があってとか、というところがあると、何か連帯感とか、公共性みたいな意義はあるんじゃないかなと思うんです。
無理やりというわけではなくて。
■田口:だから、単純に見ていて、きれいだなという感情だけで、興味が持てるわけじゃないですか。
●羽田:うん、うん、うん。
■田口:だけど、それをきっかけにして次の興味にいかに引き継げるかを考えた時に、例えば、ドローンショーをモチーフにしたとしたら、そのドローンショーで何を表現するかのほうが、実は大事なのかなとか思ったりね。
●羽田:そうですね。
■田口:だから、プロジェクションマッピングもそうですけれども、見た目すげえで見に行くんだけど、出てきたコンテンツが自分の知らない何かだったとして、それを見ることによって、それに関心、興味を持つという興味の導線は必ずある気がしている。
ドローン自体に、興味、関心を持たせる要素はないけれど、表現に持っていければ導線として使える可能性はあると思う。
じゃあ、そこで関心を持った時に、具体的な行動導線にどうつなげていくかというのは、その先のストーリーだと思うんです。
●羽田:なるほど。花火なら、川や海があって、そもそもそこは楽しいけれど、さらに夜に花火がある楽しみがあります。それを使うのは花火師といわれるアナログの人たちです。
プロジェクションマッピングは、日本では東京駅が一番バズったところの一つで、いろいろな出発地点とか、ノスタルジーのある建物があるところ。東京駅に来るのは、やっぱり楽しいし、時を超えた東京駅の変遷が見られるところがいい。花火師はデジタルのデザイナーになった。
■田口:そうそう。
●羽田:次にドローンはその二つの要素でどうなるのかを考えると、何か面白いんじゃないかと。
■田口:そうそう。東京駅でプロジェクションマッピングをやっている。
きれいそうだから見に行こうが第一文脈なんだけど、東京駅、もしくは東京駅の歴史そのものに関心を持つ導線があるわけです、その次に。何かきれいだな。
そこで、東京駅のこれまでの改装の歴史とかが映されたとして、東京駅はこうして成長してきたんだなといった瞬間に、東京駅は面白いなと思う人が出てくるわけじゃないですか。
そうすると興味の導線は、「プロジェクションマッピングがきれいだな」から、「東京駅って面白いな」に変わるわけです。
そこらへんが、ショーとかを使う意味なのかなと思ったりね。
それが社会性としての、興味、関心につなげられるのであれば、それは面白いかもなと思う。
●羽田:この流れは何か出てくるな。というか楽しいですよね。
■田口:ちょっと楽しいかなと思う。
●羽田:楽しく思って、これは意味があります。
■田口:そこで関心を持った時に、リアルタイムでそこにたどり着けるように、ドローンショーのQRコードですぐアクセスできるというのは、導線としてあってもいい。コロナの文脈はそれじゃないですか。
●羽田:分かった。これ起源はたぶんお祭りとかですよね。
■田口:そうそう。
●羽田:祈りとか。これは分かったわ。
■田口:それの入り口、もしくは象徴としてのドローンショーであれば、ドローンショーの意味はあるかなと思ったんです。
●羽田:この文脈ならそうですね。
■田口:お祭りもそうですよね。お祭りが、やんやん、やんやん盛り上がっていて面白そうだから行くんだけど、行ったら儀式とか、いろいろ伝統みたいなものがあって、最終的には伝統自体に興味を持って、それの参加者になることが、地域ではよくあるじゃないですか。
それのデジタル版だと捉えれば、意外と解釈は簡単かも。
○片山:そのうえで、外部の人に歴史を見せる意義はなんですか。
■田口:だから、コンテキストの理解が共感性を高めると信じているからです。
●羽田:文脈がなくても、ある価値ってあるじゃないですか。おいしいとか、そうすると表層的な話で、「田口さん、どこの温泉の話?」みたいになっちゃう。
ただ、コンテキストがあると、いったん泊まって、間欠泉が吹き荒れているところがあるとか。
コンテキストがある情報にたどり着くには、ない情報で、すごく高コストだと思うのです。それはアクセシビリティーの話もそうだし、理解力の話もあるし、お金の話もあるかもしれない。
そういうところが、地域に根付いたうえでの媒介物が促してくれたら、それはいい。その一つの候補として、今こういう手段を考えていると僕は捉えましたね。
■田口:うん。おいしいだけだと共感がおいしいかどうかだけになっちゃうじゃないですか。
でも、コンテキストがあると、この部分はうちの町と似ているとか、自分の経験と近いこと結構起きているなと思うと、共感のタッチポイントが増えるじゃないですか。
そういうことじゃないかなと思っているんです。
●羽田:そんなに実はおいしくないけど、そうやって本当に日々頑張っているんだなとか、頑張っている仲間として買うとかあるじゃないですか、おいしいというのは。
だから、具象が示す意味以上のことを人間は求めているんだなと思うんです。
■田口:だから、おいしかったな、きれいだったなというのは、それはそれであるんだけど、面白い町だったなと思うことはほとんどないんだよね。
それを、おいしいとか、きれいだなだけを求めると、どこ行っても大して変わらない。それはお取り寄せと一緒だから。
●羽田:はい。そういうことなんじゃないかなという一つの仮説はあるんです。だとしたら、コンテキストの文脈にどうやって低コストで引き込むようにできるかというところが一つの論点になるのかなと。
●羽田:確かに。コンテキストジェネレーション装置としてのドローンとか、
■田口:そうそう。
●羽田:それはいい文脈ですね。田口さんと僕と大関さんだと、こんな。
■田口:こんな謎な空中線が繰り広げられるんですけど。
●羽田:みんな、なるほどと思って、何か芽生えているんですよ。
■田口:大関さんも、ああだこうだと言っているレモン話から。
●羽田:みんなたぶんこれでシナプスが発火して、具体化になっているんですよね。
○片山:そうですよね。自己実現の一歩目としての共同体認知の話は、あまり自分は考えていなかったので、もう少し言語化して、深掘ったら面白そうだなと思いました。
■田口:住民とその地域に対する関係性の話と、外部の来訪者との関係性という二つの関係性と共感性があった時に、それが掛け算になったら地域が変わるというのは、その先にある問いなんです、僕の中では。
●羽田:なるほど。よく分かった、考えていることは。
■田口:だから、観光の文脈と、地域活性化の文脈が別々ではなくて、一つの土俵で掛け算になったら何が起こるんだろうというのが最終的な期待なんです。
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